ロクロクビオトシブミという昆虫がいます。
先日、上野の国立博物館/昆虫博で初めて見て大変驚きました。
中でも随一の輝きを放っていましたので、
ここに、「ブログに載せま賞」を授与します。
気になる人は検索してみてください。本当に昆虫って面白いです。
漫画のテラフォーマーズもワクワクしますが、
昆虫博では間接的に存在の可能性を否定されています!無念!
ロクロクビオトシブミを見ていて思ったことを書きましたので、ご紹介します。
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「昆虫博によせて」
ロクロクビオトシブミに、ヒトが質問する。
「何故、首が長いの?」
理由、意味、目的・・・何かあるはずだと考える。
でも、どうも理由はわかっていないらしい。
ある時突然変異で首が伸びちゃった個体が生まれたんでしょうな。
きっと産んだ親はびっくりしただろうな。。。
よく思うけど、理由なんてどうでもよくて、
僕たちが理由や意味を見出しているものごとは、
実は、ただ時系列的に、<以前>と<以後>があって、
その間にはただ物理的なやりとりがあっただけじゃないかって。
AだからB。じゃなくて、AがBになっただけ。
必然じゃなくて、いくつもの選択肢の中で偶然そうなったものが多くて、
そこに色々と意味や目的、理由を見出そうとするのが人間の性のような気がする。
AはBじゃなくて、λとか$になったかもしれない。
ロクロクビオトシブミの首が長いのはいかにも理由がありそうだけど、
やっぱり理由なんて、よくわからないことが多い。
ところが! デザインにはよく理由が問われる。
「この色は何故?」「このフォントは何故?」
アートと違うのは、そこに答えなくてはいけないこと(のような気がする)。
大げさに言うなら、僕は、ロクロクビオトシブミのようなものを生み出していて、
「この虫はなぜ首が長いのですか?」と聞かれているのだ。
もっともらしいことはいくらでも言える。
「実は首が長いことによって遠くまで見えるのです。」とか、
「それに、人間に面白がってもらえるのです!」とか。
そんなこと言っても、正直、ロクロクビオトシブミが首が長くなる必然は何もない。
ただ、今この瞬間に、首長い彼がここにいるだけなのである。
それでもデザイナーの僕は質問に答えなければいけないので、
一生懸命頭をぐるぐる回転して、結果的に、答えは
「ロクロクビオトシブミ<らしいこと>とは、そういう色で、そういうフォントで、
そういう首の長さだったのです。」となる。
馬鹿げているようだが、真実で、たぶん一番まともな答え。
「らしいこと」。それが、とっても大事だと思う。
ただ外観の細かな理由ではなく、存在の本質を見つけること。
そして、その本質を見えるようにすること。
僕は、それがデザインだと思う。
例えば、(弊社のような)地味な会社が派手な色でにぎやかなフォントを使っても仕方ない。
じゃあ、地味な会社が地味じゃなく売りだしたいとしたら?(弊社は遠慮したいけど)
それは、まず地味じゃない部分を見つける、もしくは頑張って作り出すこと(!)だと思う。
そして、その地味じゃない部分をどうやって目立たせるか、となる。
ロクロクビオトシブミが「首が長くはないと言いたい」というのはムリがあるけど
ロクロクビオトシブミが「首が細くて、スタイリッシュです」というのは可能だ。
要するに、主観的に強調したい部分と、客観的な実態・全容を、
表現を通じてどう結びつけるか、ということかと思う。
それがムリなくできれば、きっと、うまくやっていける。
ロクロクビオトシブミだって、虫の世界でうまくやっているんだ。(ホントかな?)
人間だって、きっと大丈夫。(ホントだよ。)